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沼田砥とは?最終回

  南牧村砥沢の砥石が沼田砥として呼ばれる訳は
江戸時代は幕府の直轄の支配下にあり、「上野御蔵砥」と称され
明治に入っては新砥山発見によって茶褐色に虎皮の斑紋を有する砥石を
「虎砥」と名命賞賛を博す。
大正14年砥沢村浅川氏と富岡町丸澤氏の共同経営で採掘販売を機に
従前より優れた品質で日本全国に亘り「中砥の王」として称賛され「沼田砥」
と名命し業を営む。
これが沼田砥と称される由縁であります。
なぜ沼田砥としたかは諸説ある中で確たることは判断できません。
また戦中まで虎砥が採掘されていましたが、虎砥が枯渇しその下から出てきたのが
今戸砥です。戦後〜採掘されていました。
イメージ 1


   =ホビースタイルさんのHPによれば=
沼田近辺で採掘された本当の沼田砥は確かに存在します。
有力候補としては旧水上町の小日向(戦後まで採掘)、
沼田市の川田の流紋岩(沼田砥ではないとの文献も有り)、
利根村の流紋岩(旧前橋藩領)等々・・・。
小日向砥石の取引記録は、沼田市の生方記念文庫に保管されおり
砥石がかつての重要な産業であったことが伺えます。

南牧村大正末期の文献を書き写しました。
砥沢村由来記  浅川亀太郎
  より抜粋
砥山の由来
砥沢村の砥山は発見開坑共に古昔にして
年度不明なるも村名と砥石は深き因縁
あるものなるべし場所は村の南方に聳る
猿嘯山の西麓にあり
一、口碑
 一、猿候之を教えたりと云う或る時猟師
   が猿猴を弓にて捕獲すべく矢を放
   ちたるに猿猴巧みに危害を免やし其
   の矢を拾ひ取り鏃を鋭利に磨き猟師
   に反射す之を検して奇を感じ避して
   砥石の所在を発見せりと云う左れば砥
   山と猿猴とは斯は因縁を結び現今に
   至るものなり故に砥山の職工は猿猴を捕獲
   せざると共に食することを確く禁じ又砥山神
   社御前立に猿猴雄雌の摸象を
   餝供す
 二、西行法師曳鐸の地なりと云う同師の
   ものせる砥山の歌あり
 三、西明寺時頼公曳鐸の時砥石を青砥と命名せりと云う
一、砥山の権威
   天正年間徳川氏関東入国以来御手
   山となり上野御蔵砥と称し鎌砥として日本
   全国に頗る権威を遑す坑業元締を
   稼人と唱ひ稼人は幕府の許可を得て
   多額の運上金を上納して業を営む
   幕府は砥石改所を設け役人を常備して
   砥石の取締を厳にす砥石の運搬には時と
   して南牧十二ヶ村の馬持に対し馬一頭に
   つき砥石何馱の割付を以て傳馬を徴したり
   又江戸に至るの間に在る荷継問屋には
   各其の宅敷地に対し租税を免せられたり
   日本各国に亘り他の山にては似寄の砥石
   の採掘を禁しられたり故に伊豫国に産する
   盛大なる伊豫砥の如きも採掘すること能わず
   我か上野御蔵砥に対し交渉の結果
   御蔵砥が上納する運上金の内へ毎年
   金壱百両つつ補償金を徴して彼れに
   採掘を得せしめたる等の事跡を有す
   上野御蔵砥坑業経営の偉大なりしことは今
   尚其の跡を貽して人目を驚かすものあり
   守護神として砥山神社を勧請し宮
   構造境内に松杉具他樹木(目通の周囲丈余数尺のものあり)
   生立等一見して其の崇厳なることは近隣に
   比なきを感ず砥切職工は砥沢村の住民に
   限定せられ之に従事する者は砥切百姓と唱ひ 
   砥山名主支配の下に各砥切株を所有し
   て就職す
    附記浅川亀太郎の先々代杉右エ門砥山
      名主役を務めたるに依り砥山に係る公書
      の大概は今亀太郎家に保有す  
一、現今盛んに採掘する今戸の砥山
   明治の初年浅川喜三郎(亀太郎の父)発
   見して群馬県令楫取素彦の許可を   
   得て試掘す其の後同村の人浅川庄吉
   郡内富岡町篠原粂吉の後援を以て
   採掘し拡く需用地に搬出す石質硬軟
   適切茶褐色に虎皮の斑紋を顕はし需用者
   の嗜好に投し大に賞賛を博するに至る
   砥石の名称は坑業者之を虎砥と名命したり
   当時は官有地なり
   この地は渓流を境して日向側、日影側と
   分し「ヤゲン」形の一区を為せる字今戸なりき
   古来日向側は浅川杉右エ門(亀太郎家の祖先
   累代)の所有地日影側は中道院の所有地なりしも
   明治九年地租改正の当時字を分割して
   字奥今戸の部分を官有地に編入せり
   (砥石所在地)
   明治三十二年縁故地下戻し法の散布あり
   之により浅川亀太郎続いて中道院は時の
   農商務大臣に向て当該地下戻しの申請を
   為せしも不許可となりたり難止当事者
   各自は農商務大臣を敵手として
   行政訴訟を起訴す多年係争の
   結果原告勝訴の判決を得て各
   自の所有地は地租改正以前の通り其の
   所有権を復帰す当時砥山の採掘は
   篠原粂吉に賃貸す
   浅川亀太郎は賃貸期限の満了と共に   
   大正十四年四月一日より富岡町丸澤弥三郎
   と共営を以て採掘販売を自営す
   石質従前に優り日本全国に亘り
   仲砥の王なりとして需用者の賞賛を
   博しつつ沼田砥と名命して業を営む
右 梗概を記す
        浅川亀太郎
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コメント

No title

沼田砥に興味が出て、少し検索しましたが、
今では、なかなかお目にかかれ無いみたいで残念です。
中砥の王様…手合わせしたかったなぁ~天然砥石が廃れつつある事が残念ですね~。

No title

調査ご苦労様でした!m(_ _)m

blueyさんに誘って貰い助川砥石の採掘に行けたのも、元を辿ればtyousan師匠がいて下さったからです!
お陰様で自分の研ぎ・砥石スタイルに新たに採掘・切断・整形が加わりまた一段楽しみが増えたことが嬉しいです(^_^)
中砥石ムーブメント?を起こす切っ掛けとして、バンドソーの替刃が役立つならばどんどん作りますので、いつでも言って下さいね~!(*^_^*)

No title

> ヒゲちゃんさん
南牧村の民俗資料館は南牧村とその周辺の砥石が見られて100個以上展示されています。
関東のこの資料館。関西では亀岡の10月天然砥石館が開館。と砥石が身近に見られるようになります。亀岡では試し研ぎのスペースも作るそうですよ。中砥もちょっとだけ置いてもらいます。

No title

> 酔いどれさん
祇園祭お疲れ様でした。会津の輪の地元へ行ったり、手しごとフェスタに行ったり新しい知り合いが出来ました。
涼しくなったら、又どこかへ行きましょう。酔いどれさんの手作り鋸快調です。ディスクグラインダーと組み合わせで使ってます。沼田砥と会津砥うまくできました。ありがとうございました。

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